雑記帳


このページは、個人的な事柄についての雑記帳です。


特許庁の事務処理の速さ

 今さらですが、2台ある Windows 10 のうち、1台が 32bit のままだったので、これを 64bit に入れ替えたところ、この作業に丸一日かかりました。今のCPUはみんな 64bit でしょうね。メモリも 1GB あたり500円ぐらいと、ここ10年ほどでぐっと安くなりました。

 補正書、意見書など、以前は請求しないと閲覧できなかったものも、今では当たり前のように公開されています。特許庁へ提出した書類も、公開に制限がないものは、1~2日でインターネットに公開されてしまいます。情報化が進んで特許庁の事務処理が速くなるのはいいことなのですが、いい加減な書類は提出できないという怖さも感じます。(最終更新 2019/09/03)


特許や商標の相続手続

 特許や商標を個人で出願・登録する人は多くはないので、相続手続が必要になるのはまれです。特許等の登録に関する規則は不動産登記法をベースにしているので、原則としては、不動産の相続とほとんど同じような手続をします。登録免許税額と手続書面様式が相違する程度です。

 不動産登記の場合には、建物の変更があったりすると、登録免許税の計算方法が面倒になったりして、多少気を揉むことになります。他方、登記所は各地にあるので、お役所へのアクセスの面では楽です。また、不動産登記のはたいていオンラインで行うため書類作成は手間がかかりませんが、特許・商標等の相続等、登録に関する手続は紙書類による手続のみとなっていて、少しだけ手間がかかります。

 不動産と異なり、特実意商の相続手続は後回しにされることが多かろうと思われますが、放置すると後で面倒なことになりかねませんので、早めにきちんと手続しておいた方が良いようです。
(最終更新 2019/07/16)


2018-05-22 鳥海山(矢島口秡川コース)

2018年5月22日、また今年も秡川から鳥海山へ。昨年、皮革製の登山靴のベロに破れが生じたので、今年2月にスカルパ・ベガを購入したのですが、諸般の事情でどこへも出かけられずにいました。新靴を試してみるための、一年ぶりにスキー登山です。

 皮革製登山靴に比べ、プラ登山靴は遥かに滑りやすかったのですが、スキーを履くのは丸一年ぶりですので、下りは終始片足ターンでバタバタ滑ってきました。

5月21日(月)、象潟の道の駅の6階展望台から望む鳥海山

秡川へ回り込もうとしたら、道路は中島台で冬期閉鎖されてました。開通は5月25日のようです。

ちょうど日没時刻に秡川へ到着。キャンプ場前の駐車場から望む鳥海山。

5月22日(火)朝。日の出を撮影に来る人も多いようです。

東の空の低いところには多少の雲がありましたが、まぁまぁの日の出です。

山頂方向は快晴、ほとんど無風でした。5時30分に出発します。

正味2時間ほどで避難小屋を通過します。秡川ヒュッテが小さく見えます。

避難小屋を回り込みむと、頂上まで雪面がつながって見えるようになります。

頂上斜面の下で休憩。ここからは、まだ秡川ヒュッテが見えます。

七高山頂上の賑わい。

頂上から頂上斜面を見下ろすと、平日にもかかわらず、登山者、スキーヤー、ボーダーが、次々と登ってきます。

頂上。 秡川コースからは4回目。全部、晩春スキーツアーですけど・・・。

カメラのシャッターを押してもらいました。頂上では、靴擦れの応急処置をしたり、シールを乾かしたりしながら、約1時間半ほどのんびりしました。

 革靴だと足首の踵の上に靴擦れができるのですが、プラ靴では、くるぶしに靴擦れができてしまいました。ある程度予想はしていましたが、思っていたより痛みがあります。

約1時間で駐車場へ戻りました。平日なのに、かなりの数の車が停まっています。

 夏道の左側の雪渓を登っていけば、雪がつながっていたそうです。地図ではほぼ真直ぐのルートですが、下から見ると結構くねくねと曲がって見えます。

法体の滝。キャンプ場が快適そうなら・・・、と思っていたのですが、すでにブヨが大発生してましたので、今回はパス。調理器具一式に加え、炊飯器や冷蔵庫まで持ち込んでいるオジサンがいるようでした。

象潟へ戻る途中の道路から見た鳥海山北面。七五三掛のあたりでしょうか、夏道らしきものが見えます。

5月23日(水)、湯ノ台口の道路閉鎖個所は、車で通行できるようになってはいます。帰りがけに、滝の小屋ルートの様子を見るだけ見てきました。

湯ノ台口(滝の小屋)ルートの雪渓もしっかり残っていましたが、雪渓に出るまでは夏道歩きになりそうです。お昼ごろまで天気は持ちそうでしたが、靴擦れのできた足でスキーを担いで登っていく根性もないので、このままあっさり帰路につきました。


吉田和正氏というのは、名前を知られたフリークライマーです。

 私にとっては、学生時代の山の友人です。彼はワンゲル部に1年在籍した後、当時私も在籍していた山岳部に移ってきました。ちょうどその頃、彼と顔を合わせることがありましたが、同じパーティーで登山したことはなかったと記憶しています。私はその後、左膝半月板の断裂で山から離れたため、そうした付き合いもほんの1年ほどのことです。彼も大学を離れ、クライミング生活に入っていきました。

 その十数年後、彼がフリークライミングで有名になっていたのに気づき、それからは年に一、二度程度、その内容を読むまでには至らなかったものの、彼のブログをちょっとだけ覗いたりしていました。昔はかなり過激な言動もあったようですが、彼の好き勝手な生き方は羨ましくもありました。

 先日、何の気なしに彼のブログを偶然開いてみて、もう更新されることがないと知りました。学生だった頃からは30年も経ってます。ブログトップで、オジサンになった懐かしい顔が笑っています。